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実相院正面写真
実相院について
実相院の歴史について
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新・実相院日記 ブログにてご紹介しております。
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実相院の歴史について
実相院は元天台宗の寺門派(天台宗には山門派と寺門派があります)の単立寺院で、ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王です。
実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。
その理由は実相院が門跡寺院であるからです。
門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていました。
とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一とされていました。
実相院正面   実相院襖絵
門跡寺院となったのは、静基(じょうき)僧正が開山された、寛喜元年(1229年)のことで、そのころは北区の紫野にありました。
770年以上前のことです。
その後、京都御所の近くに移り、ここ岩倉に移ったのは応仁の乱の戦火を逃れるためであったと言われています。
その後、義周(ぎしゅう)法親王が門跡となられたとき、京都御所から大宮御所「承秋門院(じょうしゅうもんいん)の旧宮殿」の一部が下賜されました。
それらが、正面の門「四脚門」、玄関横の「御車寄」、中の建物「客殿」です。
とても大掛かりな工事をして移築したことがうかがえます。
当時はここで、格式高い家柄の人々が集い、和歌の会や、お茶会などを開いていました。
そのころの様子のわかる古文書の数々が今も残っています。
また、岩倉具視もここを借りていて住んでいたり、池の前の部屋で密談をした様子などが 記された日記もたくさん残っています。
その他にも幕末の倒幕・佐幕両派と繋がりがあったと言われています。

また実相院には、狩野派の画家たちの描いた襖絵等がたくさんあり、 普通では見られない素晴らしい作品が襖や戸、障壁画として使われています。
実相院襖絵   実相院襖絵   実相院襖絵   実相院襖絵
- 義尊、法誓院三位局について
江戸時代初期に入寺した、義尊(ぎそん)は足利義昭の孫にあたります。
義尊の母、法誓院三位局(さんみのつぼね)は義昭の子高山(法厳院)との間に義尊(実相院門主)と、常尊(円満院門主)をもうけ、さらに後陽成天皇(一説によると後水尾天皇)との間にも道晃親王(聖護院門主)をもうけたため、義尊は皇子同様にして後陽成天皇の寵愛を受けました。
両天皇、東福門院、三位局など、義尊を取り巻く江戸初期の宮廷生活との深い関わりの中で実相院の文化的基礎は一層確かなものとなりました。
義尊は失われた古文書、古記録を熱心に書写したため、重要なものが多くのこされています。
また、法誓院三位局は日蓮宗の信者で、北岩倉に證光寺を創建しました。
幕末・明治期の混乱の中でこの證光寺は廃寺となり、実相院に合併されましたが、そこに江戸末期の画壇の巨匠である岸駒(がんく)が隠棲したため、彼の描いた灯篭「寒山拾得の図」が実相院に遺されています。
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交通のご案内
 ※駐車場は充分ではありませんので、公共交通機関をご利用下さい
 
1. 京都駅より地下鉄烏丸線「国際会館前」下車
2. 京都バス(24)で岩倉実相院行き終点(所要時間10分以内・タクシーだと5分程)
1. 出町柳下車
2-A. 叡山電鉄鞍馬線「岩倉」下車、本屋さん先を左折、川沿いを歩き、赤い橋を左へ、突き当たりが実相院。徒歩20分
2-B. 京都バス(21)(23)で岩倉実相院行き終点(所要時間25分)
1. 河原町下車
2. 四条河原町東北側(ナムコタワー前)より京都バス(21)(23)岩倉実相院行き終点(所要時間45分)
1. 烏丸から地下鉄に乗り換え、「国際会館前」下車
2. 京都バス(24)で岩倉実相院行き終点(所要時間10分以内・タクシーだと5分程)
堀川通りを北上、北山通りを東へ走り、宝ヶ池通りを左折、狐坂・宝ヶ池トンネルを越えて2つ目の信号(5叉路)やや左へ直進(実相院への標識あり)叡山電鉄のガード下をくぐり、1つ目の信号を左折、実相院の青い看板を左折、突き当たりが門前。
駐車場は充分ではありませんので、できるだけ公共交通機関でご来山をお願いします。

(ご注意)京都バスご利用の場合、岩倉村松行きに誤乗車にならないようにご注意下さい。
 
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京都 岩倉 実相院
京都市左京区岩倉上蔵町121
TEL: 075-781-5464 E-mail info@jissoin.com
 
 
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